2018/09

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人は誰でも美しくありたい。私だって。

年々失われていく若さを差し引いても、自分の姿形を好きでいたいから。ところで、What is beauty?
顔のつくり?体のシェイプ?ヘアスタイル?ワードローブや身のこなし?

Webster’sという、日本の広辞苑に当たる辞書をめくって見るとこうある。
「美とは、崇高な喜びを、感覚や心に与えるものである」そしてその高尚なお言葉の後に「Good looking-見掛けが良い」と来る。さすがアメリカ。


それではそのGood lookingとはどこから来るのか?


インドの古い詩の中で、理想的に美しい女性を表現するのにこうある。“満月のような顔”、“象のような腰”、“大蛇のごとき首”、“蓮のような目”、ってどんなんじゃい!?子供を10人ぐらい産んでも「まだまだいけるわよ!」的に健康な女性が美しいとされた時代なのか?

確かに、アフリカのある部落とか、アマゾンの森林に住む原住民達はもっと土俗的な価値観で生きている。しかしそれらを除けば、誰が見ても「あの人綺麗よね〜」と、ため息をつく感覚は、世界中ほぼ共通するのではないか。そうでないとMs Univers選ぶの大変だもんね。

しかし時代、時代のカルチャーにものすごく左右されている部分もぬぐえない。マスメディアや広告が作り出すイメージは、時としてそのまま“美”の手本となってしまう。“正統派美人”という言葉があるように、定番的美しさの他に、社会やカルチャーを反映して生まれた“美“というものがどの時代にも必ず存在するのだ。


この間読んだ記事に、時代のセックスシンボルについて語っていたものがあったが、その昔のマリリン・モンローと、現代はケイト・モスを比較していたのには驚いた。私の中では、マリリンの(名前からしてふんわり、まろやかで、ぷるるんって感じがするのがすごい)あの舌足らずな喋り方やちょっとハスキーな声、自分の持ってるものを良く知り尽くしたからできるようなしぐさからして、人はいろいろ好みがあるという前提を置いても、彼女がその時代のセックスシンボルであったというのは納得がいく。でもケイト・モス〜?!って思うのは私だけか?ファッション的な彼女の魅力は私も共感する。しかし、どっからどう見ても鬱持ちの、栄養の偏りが見え隠れするあの姿に、もしもセックスを見るとしたら、それはかなり倒錯したものに思えてしまう。

やはりそれはあらゆる広告やファッション雑誌が作り出した彼女のイメージが、現代の“かっこよさ”というフィルターを作り上げた結果ではないか?私自身は、というと、ひとつの現代アート鑑賞的に、彼女には十分楽しませてもらってはいるのだが・・・それでは、「本当の美って何だ?」



それはけっして、アメリカ流にいうならば、①正しいメイクアップ②正しいワードローブ③正しいパーソナルトレーナー、そして、それだけではおっつかなくなってきたら④正しい美容整形、などだけで作られるものではないと思う。それは助けにはなるだろうけれど、「崇高な喜びを感覚や心に与える」ことはできないだろう。

この人生で出会った数々の美しい人たちを思い出すと、それは決して顔立ちだけではなく、スタイルの良さだけではなく、着ているもののかっこ良さだけではなかった。全体的なバランスと、その人自身から発散される、オーラみたいなものから受ける衝撃で圧倒される。そういうものなのだ。

それはいったい彼女、彼らのどこから来ているのだろう?その人の自分に対する自信?だとしたらその自信はどこから来て何に支えられているのだろう?


私が過去に知る女性の話をしちゃおう。

まずは誰がどっから見ても正統派美人のA子さん。すらりと背も高く、性格も穏やかで、もてるんだろうなぁ、と思うと、そっちの方は全然。なんで〜?!それはまさに、彼女の自分に対する自信のなさゆえだった。口癖は「私なんか・・・」話を聞くと子供の頃に学校の同級生や実の姉に「ブス」「のろま」などどいじめられてたらしい。私が思うにそれはやっかみか、男の子の好意の裏返し以外の何ものでもないと思うのだが、やはりもともと自信がなかったのか彼女はそれを真に受けてしまい、それが心に根深く刺さったまま大きくなってしまった。すると、たとえ「美人だね〜」と言い寄られても、その相手に何か良からぬ下心があるのではないかと疑ってしまい、思いっきり引いてしまうのだそうだ。そしてまた、「私なんか・・・」と自分の不幸を自分に納得させている彼女は、全く美しくなかった。

反対に、贔屓目に見て、愛嬌はあるとはいえても決して美しい顔立ちではないB子さん。ところが私が知る限り、彼女にはいつでも彼がいて、その彼がいつでも「うっそー!」てくらいの男前。もちろん人柄も良く、おまけに彼の方がぞっこんって感じ。このB子さんに関しては、①いつでも笑顔が耐えない②いつでも前向き③他者に依存しない、の3本立て。やはり彼女は自分に自信のある人なんでしょうなあ。



フェミニストのライター、エレン・ゼッツェル・ランバートはこう言っている。「美しい顔というものは、その人自信が形作られたものである。もしくは愛によって描き出される」

ある日彼女は、子供の頃、実の母親を亡くす前に撮ったいくつかの写真を見直して愕然とした。そこに写っていたのは、自分とは思えない醜い顔をした少女だった。笑顔のゆがみや表情の不自然さに、彼女はその頃抱えていた不安や悲しみ、そしてそれを、一緒に住む継母に悟られまいと取り繕った心の葛藤をまざまざと思い出した。


心、そして思考はとても大切だ。それらで私たちの健康や美、もしくは私たち自身が作られているといっても過言ではない。心と体の医学およびウェルビーイング分野における世界的な第一人、ディーパック・チョプラ氏も言っている。「脳の化学物質を自らトレーニングすると思いなさい。自分は幸せなのだという思いを、体中の細胞に送り込みなさい。すべての細胞がその幸せに呼応するまで」

インドのタントラで言われる“健康”に3つのことが謳われている。①薔薇色に染まる頬②火の粉を散らしたように輝き燃える瞳③光り輝く髪。そしてこれらは、心がリラックスして幸せである証拠だという。

確かに人間、恐怖や不安を抱えていると、脳内でアドレナリンが放出され、それは腎臓にダメージを与える。その結果、体は脱水症状を起こし、肌は当然乾燥し、瞳、髪、全ての潤いがなくなってしまうのだ。マリー・アントワネットではないが、恐怖の元に一瞬にして老婆になってしまうのも嘘ではなかろうと思う。

となると、本当に美しくなるためには、幸せを自分自身に浸透させていかなければならないということか、ってちょっとスピリチュアルトークっぽくなってきてしまった。個人的には好きなんですけどね、こういう方向。



アユールヴェータを使った皮膚医学で著名なプラティマ・ライチュア氏も言っている。「女性は美しいから幸せになれると思っている人が多いけれど、それは反対です。幸せだから美しい。まして美しさとは人を誘惑する為の道具ではなく、恋に勝利するお守りでもありません」派手系美人でいっつもモテモテのC子さん、でも結果が散々なのはそういうわけか?

自らに幸せを浸透させる。しっかりと心には留めておこう。しかし今、そこに選択があるのなら私は美を吸収することを否めない。それは、一番手っ取り早いので化粧品。そして食事。心の栄養となる、恋や芸術鑑賞。この間You Tubeしたら、ピンクのオーラを食べて若さを保っているという女性がいたが、そういうものが見えるのならそれもありだとさえ思う。思い込みは自分を創造するのだ。

そしてしっかりと自分を見つめて、その自分を受け入れること。私は私、ケイト・モスではない(って似ても似つかないが・・・)自分を知らなければ、正しいメイクアップはできないしワードローブも選べない。健康的な恋愛だってできないんだから。そういう基本的なことがしっかりできてくると自然に自信もついてくる。もうオブジェクティヴに走りがちなマスメディアに翻弄された結果、痛ましい自分を世間にさらけ出すこともなくなる。


確かにこの現代、今まで不可能であったことの多くが可能になってきた。お金さえあれば永遠の若さを保てる魔法の小瓶を手に入れることができ、過去に死の病といわれたものからも、小さなピルによって開放されてきている。化学の発展の下で、人々は本来の現実に目を向けることなく生きていくこともできる。

別に良いではないか、70のおばあさんになっても、自分の顔に皺を見ることなく生きて行ったって(できればそう有りたいと思ってる私)。死の宣告いの代わりに、病と共存して行く方法を取ったって。ただし医学の進歩が進めば進むほど、新しい奇病が生まれてくるのはなぜだろう?人間が、若さを保ちながら長生きして行く中で、死に急ぐ若者が大勢いるのはなぜだろう?

もしも“本当の美”イコール“愛、幸せ”であることを、私たちがしっかり理解できていれば、そしてそれを実践していれば、何かが根本的に変わってくるのじゃないかとも思う。ほんの一瞬天国を垣間見るために麻薬を取って、その後の長い現実を地獄にしてしまう事もないだろう。努力して自分と向き合う代わりにナイフを手に取る事もないだろう。



私は自分のために美しくありたい。でももしそれが本当の美しさとなれば、他人の心に崇高な喜びを与えられるのだとしたら、それほどすばらしいことはないと思う。

そしてその美しさは、加齢と共に失われるものでもないとすれば、時間をかけてでも磨き上げて行きたいと思う。

 




ブラボー! Satomi!!


とってもお久しぶりでした。 Satomi が送る column from NY*


2010.3.31 column from NY*  








 


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